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1日目、アエロフロートで新潟空港からハバロフスクへ 後にも先にも、こんなおんぼろな飛行機に乗ったことはない。 ただし、パイロットの腕は一流とのこと(ソビエト空軍のパイロッ トのため)それでも、無事着陸するまでは不安だった。 |
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ソビエトに到着。 入国審査だけで、1時間以上待たされる。本の中身なども調べ られる。ここは、社会主義の国なんだと痛感した。 |
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今夜、宿泊するインツーリストホテル(ソビエトでは、行き当たり ばったりの旅はできない。必ず、指定された国営のホテルに宿 泊し、事前に日程表も提出しなければならない。)に向かうため NO1のトロリーバスに乗ったつもりが、どんどん街から遠ざかっ ていく。バスの中は人だらけ。いかにも社会主義の労働者といっ た人ばかり。このバスでホテルに行けるのか、とりあえず、 Can you speak English?と尋ねるも全く通じず。バスはどんどん進 む。このままだとヤバイと思い途中下車する。しばらく、歩いている と、学生風の3人組に出くわす。Can you speak English?Yes.助か った。インツーリストはもうすこし先にあり、NO1トロリーバスで最後 まで行くと着くとの事。ここから歩いてもしれている距離なので一緒 に行くことになった。3人は友達で、医学生、軍人、技師とのこと。 ソビエトの医学部では、どのようなカリキュラムで、どのぐらいの医 療水準なのか興味があったが、そこまで深く話せなかった。 彼らのおかげで無事ホテルに着くことができたが、これから始まる パリまでの1万km以上の一人旅に不安を覚えた。 |
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2日目、アムール川 ハバロフスクのど真ん中を流れる大河。 中国名「黒竜江」 有名な名前の川に出会ったことに少し感動したが、川そのものには何も 感じなかった。 |
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シベリア鉄道 ウラジオストックからモスクワまでおよそ9300kmの世界で最 長い鉄路。 |
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シベリア鉄道の旅がスタートする。 チケットでは、7号車なのに手違いで乗れない。雨の中、しばらく 待たされ、結局、10号車に乗り込む。しかし、そこのコンパートメ ントは、日本人の若い女二人組みと自分。めちゃんこラッキー。こ れこそ自分がひそかに期待していたシチュエーション。やった。 ところが、彼女たちの希望で隣のコンパートメントに移動になる。 結局、日本人の若い男二人組とタシケント人(ゲルムントさん)の いるコンパートメントにおちつく。畜生。 車窓は、木、木、木、、、、、地平線が見える。再び、木、木、木、、 4回程駅に停車する。日本と違いホームがない。 昼飯は、ヨーグルト入りのまずいスープ、臭いジュース、まずいライ スと鳥肉。トイレはきたない。車内は、なんともいえない独特な消毒 の匂いがする。 夜は、先ほどの隣の女の子2人を部屋に呼んで、ゲルムントさんに ロシア語を教えてもらう。 |
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3日目 |
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朝食は卵焼きで、普通の卵がこんなにおいしいとは今まで感じなか った。というか、他に食うものがない。 車窓は、大草原、森林、川、同じ景色が繰り返される。 午前中は、再びゲルムントさんのロシア語講座。 途中、駅に降りてパン、パンケーキを買う。 午後は、何もすることがなく廊下で音楽を聴きながら車窓を眺めてい ると、ロシアのかわいい女の子が、話かけてくる。まさか、オレに気 があるのか?自分もゲルムントさん仕込のロシア語単語を駆使して 話すが会話にならず。お互いかたことの英語で会話する。結局、女 の狙いは、僕じゃなくウオークマンにあった。 夜は、廊下で、アコーディオンによるロシア民謡(トロイカ、ステンカラ ージン等)の演奏、手拍子、それに合わせて踊っている人もいた。 こうして、2日めの夜は更けていった。 翌朝4時、チタでゲルムントさんと別れる。 |
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列車の中 |
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4日目、バイカル湖が見えてくる。透明できれい。 湖の景色がずっと続く。 そして、ようやくイルクーツクに到着。ここで一泊する。 |
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5日目、バイカル湖と牛 何でこんなところに牛がいるの? |
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バイカル湖 シベリアの真珠と呼ばれる世界で最も深い湖、大きさは、琵琶 湖の約50倍。 |
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イルクーツクからモスクワへ向かう。 20時30分列車に乗り込む。 今回も女の子、できれば金髪ロシア人と同じコンパートメントになら ないかひそかに期待して乗り込む。 そのかいあってか、金髪のロシア人と一緒になる。 ただし、少しばかり体格がよく、子持ち(17歳の青年)and夫付きであ る。イワンファミリー。今日から4日間、ロシアの家にプチホームステイ することになる。 夕食は、鳥肉、トマト、パンをご馳走になる。 17歳の青年は、アルトルといい、日本語を勉強していて、日本語が 堪能で、日本にすごく興味を持っており、夜はずっと今の日本につい ていろいろしゃべる。 |
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とにかく、このファミリーは、よく食べる。シベリア鉄道の食事以外に 食材をいっぱい買い込んでいて、親切心でいろいろ食べ物をくれる。 自分は、もともと胃腸が弱く、すぐに下痢になりやすい(大学でのあだ 名が元中日のゲーリー)ので、食事には神経を使っていたが、ロシア 人の気持ちが痛いほどわかるので、すべておいしそうにいただいた。 ただ、焼いた脂肪の塊は、一口食べた瞬間、オエーとなり、この時は ピンチだった。 1日6食ぐらい食事を摂っていたと思う。その後はベットで横になり、 時々外の景色を見るが同じ景色が続きすぐに飽きてしまう。またベッ トに横になり、しばらくすると、食事で起こされる。 今回は、スイカを食べろと言ってくる。 日本では、スイカは縦に4等分して、その各々の塊を縦に5,6個に切 るが、ロシアでは、スイカを横(水平)に5,6等分して、その後、縦に4 等分する。日本とロシアの文化の違いを感じた。 この日の夜もアルトルと日本とロシアの歴史、政治について話す。 |
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6日目、この日も朝から飯ばかり、食っちゃ寝、食っちゃ寝を繰り返す。 食事の時は、アルトルと日本とロシアのテレビ番組、映画について話 す。はじめは、少しばかり自由な日本の文化を教えてカルチャーショッ クを与えようという卑しい気持ちを持っていたが、ロシアでもクイズ番組 が流行っていたり、エイリアンなどのアメリカの映画にも詳しく反対に自 分の方が驚かされた。これも、ゴルビーのペレストロイカの影響なのか。 |
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7日目、コンパートメントの中 |
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8日目、今日も朝から食事、アルトルと会話、昼寝。ただし、車窓が変わってきた。 モスクワに近づくにつれ、町や工場、建物の景色が増えてきた。 途中、右手にオスタンキノ・タワー(高さ540m、世界第2位の高さ)が 見えてきた。 |
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モスクワに到着 |
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コンパートメントで一緒だったイワンファミリーと イワンファミリーとはここで別れる。 この4日間は、食事でお腹が一杯になったが、それ以上に、ファミリー の愛情で心が満たされた。 |
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赤の広場 クレムリンの北東の城壁に面して広がる73000uに及ぶ広場。 この赤は共産主義を意味するのかと思っていたが、実際は、美しいという意味をもつ。この広場は、15世紀末イワン3世により設けられた。それ以後、ステンカラージンの処刑、ナポレオン軍の侵攻、社会主義革命などロシアの様々な歴史の舞台となってきた。社会主義革命代表レーニンは、今もここで(レーニン )眠っている。 |
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無名戦士の墓 |
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聖ワシリー寺院 中央に高さ47mのドームを持ち、その周りを8本のドームがとりまく石造教会。モスクワと言えばこの教会を思い浮かべる人が多いと思う。イワン4世の命により1560年完成。 実際に行ってみると建物としては驚かされないが、それでもモスクワに来たんだという実感が持てる教会。 |
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クレムリン内部へ モスクワ川沿いの高台をとりまく周囲2235m、高さ5〜19mの赤い城壁。城壁には、トロイツカヤ塔(80m)、スパスカヤ塔など20の望楼が据えられている。壁内にはウスベンスキー寺院、ブラゴヴェシチェンスキー寺院、アルハンゲリスキー寺院、グラノヴィータヤ宮殿、イワン大帝の鐘楼、大砲の王様、武器庫などたくさんの見所がある。 |
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ウスペンスキー寺院 クレムリン内にある歴代皇帝の戴冠式が行われた大聖堂。 1479年完成。とくに見ものは、聖ゲオルギー像、三位一体像などである。 |
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大砲の大様 |
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9日目、アルバート通り モスクワで若者に一番人気のあるにぎやかな通り。 通りには、画家達が、観光客の似顔絵を描いていたり、当時社会主義の国としては珍しく31アイスクリームの店も見られ、モスクワの他のエリアに比べると活気がある。しかし、ソ連崩壊前で経済状態も悪いため、おしゃれなお店は少なく、スーパーなどは、笑えるぐらいに 物がなく驚かされる。 |
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食品売り場に行くが陳列棚に食材が殆どなく驚かされる。 また、ジュースの自動販売機はあるのだが、行列ができていて、コップを 水で洗って共有しているのには愕然とした。社会主義の終焉を感じた。 |
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ボリショイ劇場 ここで誕生したバレエ、オペラの名作は数知れない世界的な劇場。 今回の旅はその外観しか見られなかった。 |
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モスクワ川クルージング 川からは、クレムリン、レーニンスタジアム、モスクワ大学、芸術家アパートなどが見られ、モスクワの街を違う角度から観光できる。 |
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モスクワ大学 |
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赤の広場で知り合った航空エンジニアのロシア人にモスクワの街を案内し てもらう。 一番印象に残ったのは、夜、ある広場で100人以上の人々が、政治につ いて1対1でディスカッションしている異様な風景。 彼はそれを見ながら「ソビエトはもうすぐ変わる。時代の変革がすぐそこま できている。」と言っていた。 |
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夜のクレムリン |
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モスクワの地下鉄 当時の東京の地下鉄よりずっと深い。 |
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ソビエトのマクドナルド1号店、当時日本でも話題になった。 |
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モスクワからレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)へ |
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10日目、エルミタージュ美術館 ルーブル美術館と並ぶ世界トップクラスの美術館。帝政ロシア、エカテリーナ2世の収集品など約270万点を所蔵。内装の豪華さはルーブルを凌駕している。またコレクションの内容もルーブルに劣っていないとのこと。ただし、モナリザやミロのヴィーナスなど誰でも知っている超メジャーなものが少ないぶん凡人の自分には内容ではルーブルの方が凄く思える。ただし、絵画に詳しい人なら、この美術館の本当の凄さを感じることができると思う。 |
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宮殿広場 エルミタージュ美術館、旧参謀本部などの建物に囲まれた広場。 中央にはアレクサンドルの円柱が立つ。(1834年、祖国戦争勝利を記念して造られた高さ47.5mの円柱) |
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運河 ネヴァ川クルーズ 船からレニングラードの町並みを楽しめる。 今回遊覧船に乗り運河をめぐったが、あまり印象に残っていない。 |
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夜、罪と罰のラスコーリニコフの下宿を探しに行くも見つからず。 |
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エルミタージュの中へ |
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パヴィリオンの間 |
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1812年ギャラリー ナポレオン戦争に参加した332名の英雄の肖像画が飾られ ている。 |
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孔雀石の間 |
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大使の階段 |
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ロシア革命の時、多くの人民は、この階段を駆けのぼった。 |
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カザン聖堂 1801年から10年を費やして建てられた聖堂。ネフスキー大通りに面した半円形回廊には、94本のコリントス様式の円柱が並び圧倒される。 |
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イサーク聖堂 1818年から40年を費やして建てられた聖堂。高さ101.5m、金色のドーム、112本の列柱を有する大聖堂。 |
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夜の運河 |
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11日目、ピョートル宮殿までは、水中翼船で約25分 |
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ピョートル宮殿 サンクトペテルブルグの西南約30km。ピョートル大帝の夏の離宮。 1714年、ピョートル大帝がヴェルサイユ宮殿を模して建てた壮麗な宮殿。庭園内には、147もの噴水や様々な像が見られる。 庭園の雰囲気はベルサイユ宮殿と似ている。建物は、内装などたしかに豪華ではあるが、今回はサムソン像とその噴水が工事中のこともありベルサイユ宮殿よりやや劣る感じ。 |
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夜の宮殿広場 |
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12日目、レニングラードからヘルシンキに行くため列車に乗る。荷物、パスポートの チェクを受ける。 老夫婦(ニューヨーク)、青年(ユーゴスラビア)、青年、中年(フィンランド) と一緒になる。 途中、きれいな駅に停車する。ここは、すでにフィンランド。車内でパスポ ートのチェク(入国)を受ける。フィンランドに入ると、明らかに道路やそこを 走る車がきれいになる。湖も時々見られる。 ヘルシンキに到着する。いきなり、品数の多いきれいなお店が目に飛び込 んでくる。資本主義社会に来た感じがした。 まず、インフォメンションセンターを探し、換金、現地の情報を得る。 ユースホステルに行くも満室のため、ホテルブッキングセンターに行き、そ の日のホテルをキープしヘルシンキカードを得る。 夕食は、トナカイの肉料理を食べるため、街に出てガイドブックにあるその 店を探すもつぶれていた。 |
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13日目、ヘルシンキからサヴォンリンナへ向かう。 車内でユーレイルパスの記入をしてもらう。親切なフィンランド人の男性がユーレイルパスの事やサヴォンリンナの行き方についてアドバイスしてくれる。 車内はカラフルな座席で明るい雰囲気。降車の時はボタンを押してドアを開ける。車窓は、森林が続き、合い間に川、麦畑が見られる。 ラッペーンランタを過ぎる頃から、湖が見え始める。 パリッカラに17時30分に到着する。ここから乗り換えてサボンリンナへ向かうのだが、20時30分まで列車がない。 バスも出ているのだが、今日は土曜日で運休。バス停には、バックパッカーのドイツ人3人とフィンランド人のカップル(男は水兵)がいる。 結局このカップルと一緒にタクシーでサヴォンリンナへ向かう。ドイツ人も誘ったが、金がなく20時30分の列車で行くとのこと。 サヴォンリンナまでの道はすばらしかった。途中、両側が湖の道を走る。彼らが言うにはスペシャルロードらしい。 2人とは、途中で降りる。自分は中心街に在るユースホステルで行く。 ユースホステルは満室のため、仕方なくホテルを探す。 ホテルを見つけ、その後、夕日の沈む湖を見に散歩に出かける。 |
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14日目、午前は、観光船に乗る。 乗客は4人。スタッフは、船長と助手の女の子でこじんまりとしている。天候は、空の半分が曇り、半分は晴れている。湖は鏡の様 に半分は青くて美しい。 |
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午後は、プンカハリューに行き、幻の湖、スオミを求めてハイキングをする。 地球の歩き方に出ているコースで行く予定だったが、駅に着いても そのハイキングコースの出発点となるホテル・フィンランディアの看板がない。インフォメーションも休みで、人はいない。仕方なく適当に 近くを散策していると、女の人にでくわし、ホテルの場所を尋ねると 反対の方を指差し7km先と言う。今来た道を引き返しどんどん歩く。 やがて、別荘エリアに迷い込み、そこにいた老人に道を尋ねる。 老人は地図をとりだし親切に説明してくれる。その指示どうり歩き進む。やがて、道は湖に出くわし、湖に沿う歩道と今まで歩いてきた車 道の2つに別れる。湖に沿った道を選び歩き進む。今まで歩いてきた車道はどんどんはなれていき不安になる。たまたま、前方から来た自転車に乗った青年に道を尋ねるとココから5kmと言う。安心してこのまま歩き続ける。やっとフィンランドホテルの看板を見つける。 |
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ようやくココからハイキングコースが始まるらしいが、ハイキングコー スらしものはなく、仕方がないので適当に歩くと白い橋に着く。これがガイドブックにあるメルヘンチックな白い木橋だと分かる。あとは ガイドブックのとうり歩き進むと美しい夕焼けの大サイマー湖畔に出る。これがスオミか。道に迷い、まさに幻の湖だった。 |
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15日目、朝、カーテンを開けると雲ひとつない快晴。もう一度、周遊観光船に乗る。 昨日は、やや曇り気味だったが、それなりにきれいだったので、かなり期待して乗船した。 期待どうり、風景を堪能した。湖は透明でブルーに輝き、森林の緑が湖に映りエメラルド色に輝いている。ブルーとエメラルドの境が、また美しい。 こんな湖の中を船は進んでいった。 今日の船は、フィガロという大きい船。乗客は5人だけ。汽笛がうるさいほど大きかった。 |
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オラヴィ城 大サイマー湖畔に建つ、サヴォンリンナの町のシンボル。フィンランド3古城の1つ。 |
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再びヘルシンキに戻って来た。 |
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ヘルシンキ中央駅 |
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ヘルシンキ大聖堂 1852年に完成したルーテル派本山となる教会。 ブルーのドームに白を基調としたヘルシンキのシンボル的建物。 |
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16日目、シリヤ・ライン 10階建ての豪華客船 ヘルシンキ〜ストックホルムを結ぶ航路。レストラン、サウナ、バー、カジノとうそろう 10階建ての豪華客船。ユーレールパスも利用できる。 |
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シリヤ・ラインでヘルシンキからストックホルムへ ユーレル・パスを利用する。 |
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シリアラインに乗り込む。 中は、予想どうり、かなり豪華だった。 きれいなレストラン、BAR、プール、ディスコ、サウナもある。 1〜3Fは客室、8Fは免税店、4Fはゲーセン、sleep in、ソファーのある部屋がある。 まず、ソファーをキープし、sieep inのベッドをキープしてからサウナへ行く。 |
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船内でフィンランドサウナを体験、普通のサウナだった。 |
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17日目、ストックホルム ‘北欧のヴェニス‘と呼ばれるスウェーデンの首都。バルト海とメーラレン湖に囲まれ、 大小14の島から成る。人口160万人。 |
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ガムラ・スタン ストックホルム発祥の地でもある旧市街。曲がりくねった細い道に 17世紀の 建物が並び中世がいまだ息づいている。その中にオシャレな店やカフェが並び 多くの観光客で賑ってる。 |
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18日目、ストックホルムからオスロに向かう。 |
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オスロ 1050年に建設されたノルウェーの首都。人口約50万人。 |
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カールヨハン道り 中央駅から王宮まで続く、長さ約1.5kmのメインストリート。夏に行った時は、 多くの人で賑っていた。 |
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ムンクの叫びと思春期 ムンクの叫びは、叫んでるのではなく、叫び声を聞かないようように 耳に手をあてているらしい。 |
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19日目、オスロ、ベルゲン鉄道にてベルゲンに向かう。 |
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オスロ、ベルゲン鉄道 オスロ、ベルゲンを結ぶ鉄道。途中、バスやフェリーにも乗り換える。この間、 ショースの滝やフィヨルド、グドヴァンゲン峡谷の絶景を堪能できる。 |
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列車の中 |
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ヒョースの滝 全長93m 列車は数分間、写真撮影のために停車する。 この滝による水力発電を利用して、この鉄道は運航されている。 |
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フィヨルド オスロ、ベルゲン鉄道の途中、フロムからフェリーに乗り換えフィヨルドに向かう。 両サイドの崖は、雨のためか100m級の滝が何本も流れ落ちている。船は、世界一 長いソグネフィヨルドから枝分かれしたアラウンドフィヨルド、ナールフィヨルドを通って いく。雨ではったが、それでも大自然の絶景を楽しめる。 |
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船は世界一長いソグネフィヨルドから枝分かれしているアラウ ンドフィヨルドとナールオイフィヨルドを通る。 |
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両サイドの崖は、100m級の滝、滝、滝、何本も滝が流れ落ちている。 |
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フィヨルドとは、ノルウェー語で内陸部に深く入りくんだ湾を意味する。 |
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グドヴァンゲン峡谷の絶景 |
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ベルゲン駅 |
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20日目、ベルゲン ノルウェー第2の都市。12世紀〜13世紀までは、ノルウェーの首都だった。 現在は、フィヨルドの観光拠点となっている。町中では新鮮なエビ、魚が並んでいる。 |
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魚市場 |
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このケーブルカーでフロイエン山(高さ320m)に登り、ベルゲン の夜景を見る。 |
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21日目、コペン・ハーゲン駅 デンマークの首都。人口180万を擁する北欧最大の都市。17世紀のルネサンス 様式の建物が、数多く残る歴史的街。 |
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チボリ公園 1843開園、春から夏にかけて開催される世界的にも有名な遊園地 |
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市庁舎 1905年、中世デンマーク様式とルネサンス様式を取り入れて建設された高さ106mの市庁舎。 今回は外観しか見れなかった。 |
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ゲフィオンの噴水 北欧神話の女神ゲフィオンの噴水。人魚の像を見に行く途中に見られる。 |
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フレデリクス教会 |
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ニューハウン レストランが並ぶ、運河沿いの新しい港 |
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ローゼンボー宮殿 1607年、ローゼンボー家が建てた城。クリスチャン4世とムンク夫人の愛の巣としても有名。 |
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人魚の像 アンデルセンの童話‘人魚姫‘をもとに1913年に造られた街のシンボル。高さ80cmのブロンズ像。 |
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ラウンド・タワー 1642年建造、高さ36m、屋上からコペンハーゲンの旧市街が見下ろせる塔。歴史的には、1716年、ロシアのピョートル大帝が、馬で一気に駆け登ったといわれる円筒。 |
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ラウンド・タワーからの景色 |
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夜のチボリ公園 |
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夜のコペン・ハーゲン駅 22時アムスエルダム行きの列車に乗り込む。 一人でコンパートメントを占拠するも、「この列車は、アムステルダムには 行かないよ」と外人が教えてくれたため乗り換える。 乗り換えた列車は、乗客が多く、そこで知り合った韓国人(NASAで働いてる)と一緒に空き部屋を探すがどこも一杯、やっと空いてるコンパートメント を見つけるも、一人分しかないので韓国人に気を遣ってためらっていると、 その韓国人は、こそくにも、すかさず、自分に気遣うことなく一人そのベットに横たわった。自分はやっぱり日本人だな〜と感じた。 結局、一人で廊下で寝ることになった。 |
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22日目、翌朝、目覚めて天井を見ていると、船がフェリーの中に入っていく。まさか 船で移動するとは驚かされた。 その後、ドイツあたりで新しく、1車両連結されたため、コンパートメントに移動する。まだ、これに気づかず廊下で寝ている人がいるので教えてあげる。一人でひとつのコンパートメントを占拠する。 どこかの駅でバックパッカーの若い外人の女の子が2人乗り込んでくる。 一緒に寝る。 9時50分アムステルダムに到着。 |
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アムステルダム中央駅 1889年建造された、ネオルネッサンス様式の赤レンガ造りの駅舎。東京駅のモデルになったことでも有名。 |
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アンネ・フランクの家 1944年8月4日、ゲシュタポに発見され、アウシュビッツの収容所に送られるまでの2年間、アンネとその家族が隠れ住んだ家。建物内には、アンネの日記や日記にでてくる本棚や屋根裏部屋などが公開されている。 自分は、ここに4〜5時間は滞在した。 ここで、日本からもってきたアンネの日記を1冊読んでから、内部の見学に参加した。 |
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アンネの日記 |
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日記にも出てくる、あの本棚 |
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隠れ家への入り口 |
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隠れ家からの外の景色 |
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風車が見たいため地球の歩き方に書いてあるとうりに行く。 すなわち、アムステルダム中央駅からAlkmaar行きの電車に乗りKoog Zaandijkで下車。進行方向に向かってまっすぐ歩き、最初の十字路を右に曲がり5分程歩くと橋が見え、その向こうに3つ風車が見えるとの事。 トーマスクックには自分が見る限り詳しい時刻が出ていないので、とにか く駅に行き、その辺にいるオランダ人に聞きながら、あとはガイドどうりに 行く。 |
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風車の周りは、農場があり、小川が流れ、のどかな風景が広がっている。 |
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夜のアムステルダム中央駅 |
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飾り窓 春を売る人と春を買う人でいっぱい |
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運河沿いに建物が並び、その建物の窓は、ピンクのネオンで 彩られ、窓越しに下着を身に着けた娼婦が見られる。 |
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23日目、列車の中 アムステルダムからパリに向かう。 |
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ついに、最終目的地パリ到着する。そのままベルサイユに移動する。 ヴェルサイユ宮殿の夕暮れ |
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アポロンの泉水と大運河の夕暮れ |
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ホテル・デ・フランス ヴェルサイユ宮殿のすぐ近くにある2ツ星のホテル ヴェルサイユ宮殿に泊まった気分に浸れる。 |
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24日目、ルイ14世の騎馬像 |
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ヴェルサイユ宮殿 太陽王ルイ14世の命により1661年着工され1710年に完成したパリの西20kmに位置する華麗な大宮殿。宮殿内には、ルイ14世により造られたフランス・バロック建築様式の壮麗な「鏡の間」「王室礼拝堂」やルイ15世によって造られた「王室オペラ劇所」などたくさんのみどころがある。 |
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25日目 |
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平和のつぼ |
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グラン・トリアノン |
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皇后の御寝の間 |
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愛の殿堂 |
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プチ・トリアノン |
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レンタサイクルにてベルサイユ宮殿の森の中など散策する。 大運河の向こうまで行くと、馬が飼われている。畑がある。森が続く。 とにかく、めちゃんこ広い。 |
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ベルサイユ宮殿のレンタサイクル ベルサイユ宮殿内では、レンタサイクルできる。歩いて庭園を見るのと違い、レンタサイクルだと行動範囲も広がる。大運河の反対のエリアには、畑があり、馬がたくさん飼われ、庭園の周りには広大な森林が広がり今までとは違うベルサイユを体感できる。 |
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王室礼拝堂 ルイ14世はここで毎日ミサをした |
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マリー・アントワネットの寝室 |
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シャンデリア クリスタル製、鏡の間には、54個ある。 |
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鏡の間 |
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戦争の間 |
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26日目、ルイ14世の間 王の寝室 以前ツアーで来た時は、鏡の間やマリーアントワネットの寝室などを見学し たが、以下のルイ14世の間や王立オペラ劇場など見れなかった。 実は鏡の間の鏡の奥に、こうした部屋がある。今回、自分は、フランス語か英語のガイドしかないコースを選択したため、これらを見学できた。ただし、ガイドの言っている事は、さっぱり解らなかった。 |
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振り子時計の間 |
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王の執務の間 |
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ルイ16世の図書の間 |
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王室オペラ劇場 |
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ここでルイ16世とマリーアントワネットの婚礼が行われた。 |
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27日目、28日目、噴水と音楽のショー 庭園22ヶ所の噴水が、宮廷音楽とともに次々と水柱を上げる。 当時は3〜9月の第1,3,4日曜日に行われていた。 左はラートーナの泉水 |
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水があるだけで全く違うヴェルサイユ宮殿の表情を見せる。 いつも死んでいる噴水が生き返る。 |
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真夏なので涼しくてありがたい。 |
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造り岩の樹林 |
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柱廊 |
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アポローンの泉水 |
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春の泉 |
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子供の島 |
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ピラッミドの泉水 |
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エンケラドスの噴泉 |
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ネプチューンの池 当時、6〜9月に、この池で噴水と音楽をバックに色とりどりの イルミネーションと花火を彩る夜会が催された。 すでに、写真後方に観客席が作られている。 自分はインフォメーションセンターでチケットを入手した。 |
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夜会 毎年6月〜9月の夜にネプチューンの池の前で、宮廷音楽をバックに色とりどりにライトアップされた噴水と花火のショー(夜会)が行われる。いつもは、夜にベルサイユ宮殿には入れないので 夜のベルサイユを体験するだけでも価値がある。 自分は現地のインフォメーションセンターでチケットを購入した。 日時や料金は毎年かわり、予約が必要なこともあるので注意。 |
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夜のヴェルサイユ宮殿に入れただけで満足 その上、きれいなイルミネーション、花火を見れて大満足 |
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ディズニーランドのような派手さはないが大人の雰囲気だった。 |
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夜のルーブル美術館 |
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29日目、ルーブル美術館 「モナリザ」や「ミロのヴィーナス」など30万点以上もの所蔵を誇る世界一の美術館。この建物は、12世紀に要塞として建てられた後、歴代の国王によって300年かけて完成された。18世紀末に美術館となった。 今回は、3年前と違い中庭にピラミッドの入口があり前回と比べ変わっていた。また、2日かけて見たが、まだまだ見きれない。 |
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サモトラケのニケ |
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書記坐像 |
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ミロのヴィーナス |
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狩をするディアンヌ |
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フィリィプ・ポの墓標 |
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デューラーの自画像 |
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瀕死の奴隷 |
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宰相ロランの聖母 |
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バテシバの水浴 |
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メデュース号の筏 |
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オルセー美術館 セーヌ川左岸、ルーブル美術館の対岸に位置する近代美術(1848年〜1914年までの)約2万点を所蔵するパリを代表する美術館。特に印象派の作品が充実している。 |
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田舎のダンス |
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ムーランド・ド・ラ・ギャレット |
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オランピア |
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笛を吹く少年 |
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ゴッホの自画像 オーヴェルの教会 |
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30日目、ロワール古城ツアーに参加する。 シャンボール城 |
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2重らせん階段 |
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シュノンソー城 |
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夜の凱旋門 1836年フランスの勝利をたたへナポレオンの命により建造。 その後、第一次世界大戦の勝利の行進やナチスドイツのパリ進軍など数々の歴史を見てきた。高さ50m、幅45mで、屋上からは、パリの街並みが眺められる。門の下には、無名戦士の墓がある。 |
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夜のシャンゼリゼ 凱旋門からコンコルド広場まで続く世界を代表する大通り。 通りには、カフェ、レストラン、高級ブティク、などが立ち並び、夜にはライトアップされた凱旋門が浮かび上がり、これぞパリと言えるストリート。 |
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カフェ |
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リド |
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夜のノートル・ダム寺院 セーヌ川沿いに立つ、ゴシック建築最高傑作の寺院。1163年より約200年の歳月をかけて完成された。正面と南北にバラ窓とよばれる丸い大きなステンドグラスがあり、ブルーのものは、13世紀の傑作である。またこの寺院は、ナポレオンの戴冠式やジャンヌダルクの審判の場所としても有名。 ノートルダムとは聖母マリアを意味する。 実際に教会内に入ると、そのステンドグラスの美しさに心を奪われる。単に大きいだけでなく内装もすばらしくゴシック建築最高傑作の寺院にふさわしい。 |
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ノートル・ダム寺院の中 |
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夜のモンマルトル 標高130m、パリ市街が一望できる小高い丘。ここには、今も古き良き時代のパリの香りが漂う。テルトル広場には、無名画家が観光客相手に似顔絵を描いたり絵画を売ったりしている。まわりには、カフェやレストランが並び賑やかである。 |
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サクレクール寺院 モンマルトルの丘に建つ美しい白亜の寺院。1910年完成。 高さ80m。ドームの頂上からは、パリの景色が一望のもとに見渡される。 今回は、寺院内も見学したがとくに感動はなかった。 |
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ムーラン・ルージュ 創業120年、フレンチカンカン発祥のキャバレー。 ムーランルージュとは、フランス語で「赤い風車」を意味する。 現在は、ショーが連夜行われている。 |
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メトロ |
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ニュー凱旋門、グランド・アルシュ フランス革命200年を記念して造られた巨大なキューブ形(105×105m)のニュー凱旋門。 |
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ライトアップされるエッフェル塔 1889年パリの万博のために建設された高さ300mの巨大な鉄製の塔。当時は、パリの外観を損ねるということで反対意見も多かったが、現在では凱旋門と並ぶパリの象徴となっている 昼間は、まさに鉄の塔だが、夜はライトアップされ黄金の塔に見える。 |
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夜のセーヌ川クルーズ セーヌ川に架かるいくつもの美しい橋や、自由の女神、ライトアップされたノートルダム寺院、オルセー美術館、エッフェル塔などセーヌ川沿いの建物を鑑賞できる。とくに夜がおすすめ。 今回は、一人で参加したため孤独だった。 |
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オルセー美術館 |