2日目、ヨハネスブルグからビクトリアフォールズに向かう。
席は窓側、しかも、隣は、そこそこ若い日本人女性。やった。
しかし、再び横を見ると、いつのまにか若い日本人男性にかわって
いる。そして、その男は、自分に話し掛けてくる。
内心、なんでこいつが、ここにいるんだよと思いつつも、普通に会
話をする。
話してみると好青年で、ここにいた女の人は、夫婦で来ていて、夫
と席が離れていたため代わってあげたとのこと。
この青年は、ブエノスコジコジといい、世界中を旅してるらしい。
このことは、その時もらったホームページを見て後で知ったのだが
これが自分のホームページを作るきっかけになった。
イグアスのように機内からビクトリアの滝は見られなかったが、
遠くに舞い上がる水煙が見られた。
現地ガイドに迎えられホテルに向かう。(車内は南アフリカの家族
4人と一緒になる。)
13時にホテルに到着。「14時にビクトリア滝に行くためロビーに
来てください」と言う。
ビクトリアの滝まで、30分として、17時にザンベジ川のサンセット
リバークルーズがあるので、14時30分から16時30分の2時間し
かビクトリアの滝を見られない。この時間で十分滝を堪能できるの
か不安を覚える。20時間かけて、ココまで来て2時間しか見られな
い。(はじめから分ってはいたが、)この2時間は貴重に思えた。
13時40分ロビーへ。すでに、日本人が3人いる。「これから、どち
らへ行かれるのですか?」と尋ねると「ビクトリアの滝です。」これで
この人達と同じグループなんだと思いホッとする。
13時50分、日本人が10人になる。
14時バスがやってくる。
すぐに、乗り込む。バスが出発する。
現地人のガイドが乗客の確認をする。名前を言う。リスト表に目がい
く。突然、お前は誰だ?みたいな表情になる。不安になって、周りの
日本人に聞くと、ここに乗っている人は、みんな同じツアーの人らし
い。その場でバスを降ろされホテルに戻る。
再びロビーで待つ。
14時30分になってもピックアップが来ない。ひょとして、あのバス
に乗っている間に行き違いになったのか不安になる。
フロントから現地ツアー会社に連絡を入れてもらう。まだ、こちらに
向かっている最中とのこと。
ひと安心というより、怒りがこみ上げてくる。ガイドが来たら首を絞め
てやろうと思った。
それからの時間は、日本からここえ来る時間より長く感じた。
15時ようやくガイドが迎えに来た。
英語と日本語で文句を言ったが、全く通じない。て言うか、そいつの
顔をよくみると、黒人のジミー大西。全くの間抜けずら、こいつに何
を言ってもだめだと思った。
15時20分ビクトリアの滝(ジンバブエ側)の入り口に到着。
ここで、さらに待たされ、そこに空港で迎えに来たガイドが、南アフリ
カの家族を連れてやってくる。
15時30分、ようやくビクトリの滝見学スタート。
このときは、怒りと、時間のなさで全く冷静さのない自分がいた。
確かに予想どうりのすごい滝で、心の半分では感動しているのだが
心の半分は怒りと焦りで満ちていて感動は半分になってしまった。
しかし、これだけでは済まなかった。
1時間しか時間がないので、冷静さを欠いた自分は、右手にビデオを
持ち、滝の水しぶきの中、駆け足で移動していたため、濡れた路面
に足を滑らせ横転、この際、腕がへんな方向にグニャと曲がった。
腕は曲がったまま伸ばせない。すぐ、これは、やっちゃったと思った。
ビクトリアの滝は駆け足だが、ほぼ見終えた後だったのが不幸中の
幸いだった。
痛みでうずくまっていると、そこえガイドが助けにきて車まで介助して
くれた。複雑な気持ちだった。
ガイドに骨折しているかもしれないと伝えると、「病院を手配するので
ホテルでしばらく待っていて下さい。この後のリバークルーズはキャ
ンセルしますね。」と言うので、「お願いします」と答えるはずが、もう
一人の自分が「リバークルーズを見てからにして下さい。」と答えてい
た。「本当に大丈夫ですか?」「OK」「それでは、20時にホテルのロビ
ーに来てください。」と言われ、ザンベジ川に向かう。
デビルズホール
メインフォール
ビクトリアの滝

ナイアガラの滝、イグアスの滝とともに世界3大瀑布のひとつに数えられる滝。
現地の言葉で、‘モシ・オ・トゥニャ(雷鳴の轟く水煙)‘と呼ばれ、その水煙は
高さ150m以上まで舞い上がる。1855年探検家リビングストンが、この滝を
発見した際、時の英国女王ビクトリアの名にちなみ命名した。
全幅1700m、最大落差約110m、雨季が終わる3月下旬頃には、毎分5億
リットルもの水が落下する。
実際この滝を目の当たりにすると、その水量に圧倒される。
レインボーフォール
ホースシューフォール
リビングストンが初めてビクトリアの滝を見た時もこのような
2重の虹が架かっていたらしい。
今回の旅は、4月〜5月のため、デビルズプールには入れず残念。
実際には、脱臼していたので、それどころではなかったが。

デビルズプール:
 滝の水量の少ない10月〜3月に、滝の落下寸前で泳げる天然プー
ル。落差は100m。落下すれば命はない。まさに悪魔のプール。しかし、ガイドもつくし、
滝の水量も少ないので比較的安全(?)らしい。
ザンベジ川リバークルーズの発着所に着く。
船まで、長さ10m幅1m程の鉄製の橋が架かっている。
手摺につかまりながら、やっとの思いで渡りきる。船は既に人で一杯
唯一、真ん中に、日本人の男性が2人座っている前の空いている席を
見つけ、そこにうずくまる。右腕は、ある一定の形でキープし前かがみ
にしていないと痛むので、ずっと不自然な体勢でいた。それでも、ザン
ベジ川の景色や空気が感じられたので行った意味はあった。
船が動き出した。
しばらくすると、前に座っている男性が「Are you OK?」と話しかけてき
た。日本人だと思っていた二人は中国人だった。
この中国人は、親切にも自分の代わりに写真やビデオを撮ってくれた。
自分は、その間も、ずっとうずくまりながら、人と人の間から見える景色
を眺めていた。時々、野生のカバが水面から姿を現し、乗客が歓声をあ
げている。
やがて、ザンベジ川は夕日に包まれる。
また、どこからか、カバが現れ、歓声が起こる。
ザンベジ川

ザンベジ川は全長2700km、ナイル川、コンゴ川、ニジェール川に次ぐ
アフリカ第4の大河。川には、カバやワニが生息し、時にゾウも見られる。
カバは、凶暴なので注意。昔、カヌーツアーでカバを見にいったツアー客が
カバに襲われ、左手を失った人がいるらしい。
カバは、3トンを超える巨体で、時速30kmで泳ぎ、噛む力は450kgある。
頭だけで220kgあり、頭の衝撃だけで重さ90kgの鉄球が、時速80kmで
衝突する衝撃に匹敵する。こんなのに襲われたらひとたまりもない。
リバクルーズを終えホテルに戻る。
20時、車が迎えに来て、病院に向かう。20分程で到着。この間、道が
デコボコで車が揺れ、その度に腕が痛む。
病院は、総合病院とのことだが、予想どうり2F建ての小さな建物だった。
中に入ると、スタッフの黒人の女性と男性がいた。また、ここまで、つれ
てきてくれたガイドのイスラエルさんの知人で現地に詳しいフリーランス
の加藤さん(女性)も駆けつけてくれた。
診察が始まる。その黒人男性に状況と症状を伝える。裸になって、患部
を診てもらう。X線は、撮らないで骨折か、脱臼疑いとのこと。その後、肩
にキシロカインを局注され、かなり古いが、アントニオ猪木のタイガージェ
ットシン腕折事件ばりの必殺アームブリーカの様に整復(?)を試みる。
このやりかたでいいのか不安になるが、これがアフリカ式なのかと思う。
結局3回試みるもダメ。明日ドクターが来るのでもう一度朝10時に来てく
れとの事。この男は、ドクターでなくナースだった。
明日のことで加藤さんが、いろいろ手配をしてくれる。
明日もしX線を撮って骨折なら旅行は中止してすぐに日本に帰国する、そ
の際のエアーチケットや、脱臼でうまく整復できた時は、ヘリコプターツア
ーとザンビエ側とジンバブエ側のビクトリアの滝の観光の手配をしてくれ
るとのこと。いずれにしろ、これで明日のチョベのゲームサファリは中止
になった。しかし、ホテルへの帰り道、路上で野生の像に遭遇した。
ここはアフリカなんだと実感した。
ホテルに到着し部屋に戻る。ここから恐怖の長い一日が始まる。
日本を出国して30時間以上寝ていないので睡魔に襲われるが、それよ
りベットに横になると右腕に痛みが走る。痛みに耐えながら上肢を少しづ
つずらしてなんとか我慢できるポジションを見つけるも、部屋の明かりが
点いているため再び起き上がろうとするとめちゃくちゃ痛くて20分かけて
起き上がり明かりを消す。そして、先程のポジションに寝ようとするが、暗
闇のなかだと蚊帳との関係もあり微妙にポジションが定まらない。
部屋は、かなり隙間があり、ハマダラカは夜間襲ってくるので、明かりは
消したいが、結局点けたまま、ベットの上で寝ることにする。
このため、より蚊帳には、体の一部が触れない、かつ痛みの少ないベス
トポジションを見つけないといけなくなった。一度失敗すると再び起き上が
るのに20分間さらなる激痛に耐えないといけない。もちろんベットに横に
なった時も痛みが襲う。自分は、このことを3時間以上続けている。
痛み、旅行の中止の不安、マラリアの恐怖、睡魔。そして、一人の不安。
俺は、日本から遥か遠くのこのアフリカの土地でいったい何をしてるのだ
ろう?K子が一緒だったらなぁ〜と思う。
何回TRYしても、寝れそうなポジションが見つからないので、ベットの上で
横にならないで、ベットに座って前かがみになってそのまま寝ようとする。
しかし、これもだめ。もう5時間は経ってると思う。
結局、蚊帳に触れて蚊に刺されてもイイヤと思い、なんとか睡眠をとる(?)
3日目、朝、今でも、ちゃんと寝たのか、そのまま、起きていたのか定かでは
ない。ただ朝9時に起きて、裸になり、鏡に映る変形した上肢を見て驚い
たことは覚えている。しかし、骨折にしては、腫れが少ないので、少し安心
する。
朝10時病院へ行く。ドクターの診察を受ける。X線を撮る。X線の現像は、
旧式で、現像器を使わないやり方で珍しかった。結果は、骨折ではないと
のこと。出来上がったフィルムを見せてくれたが、お世辞にもあまりいい写
真ではなかった。しかも1方向。しかし、今は、このドクターを信じるしかな
かった。脱臼の診断のもと整復を受けることになる。ドクターの判断で全麻
下で行われた。診察のベットの上で静注を受け、そのまま意識がなくなる。
目が覚める。隣を見ると黒人のナースがいすに座っていて自分に微笑み
かける。右上肢の痛みもない。整復はうまくいったようだ。
まだ、しばらく固定はしなければいけないが、これで、帰国しなくて、旅が
続けられることになった。イスラエルさん、加藤さん、Dr.Nyoniに感謝の気持
ちで一杯になった。
昨日とは違い、体も心もすっきりして、再びビクトリアの滝に再会した。
しかも、空の上から。今日初めて見るような感覚だった。
とにかく、凄い。凄すぎる。大地が裂け、そこに海が落ちこんでいるかんじ。
イグアスの時と違いヘリコプターの前の席だったため視界がよく、よけいに
その滝のスケールを実感できた。
また、広い大地の中にアフリカ像の群れが見られアフリカを感じた。
その後、ガイドのロバートと一緒に国境を越え、といっても、イグアスの滝で
ブラジルからアルゼンチンへ入国する様な距離や手続きと違い、車で橋を
渡り、簡単な手続き(ガイドがしてくれる)をしただけだった。距離的に言えば
ナイアガラの滝で橋を渡ってアメリカからカナダに入国するのと似ている。
ただ大きく違うのは、治安。実際、ザンビアに入ると怪しそうな、危なそうな
現地人が一杯いる。単に貧しそうなだけかもしれないが、自分は一人では
ここに着たくない感じ。それでも、公園内は、そんなことはなかった。
ザンビエ側のビクトリアの滝の観光が始まる。とにかく、滑らないよう1歩1
歩、大地を踏みしめる。(途中)
イースタンフォール
ずぶ濡れになりながら、ヴィクトリアフォールズ鉄橋にたどり着く。
ヴィクトリアフォールズ鉄道
その後再び、夕刻のヴィクトリア滝(ジンバブエ側)を見に行く。
夕刻のヴィクトリア滝は、次の夕食の予定もあり、夕刻まで、
そこに滞在できなかったため、夕日に水煙が染まる幻想的な滝
のシーンが見られなく少し残念。
デヴィド・リヴィングストン像
1855年、この滝を発見し、当時のイギリス女王の名をつけて
ヴィクトリアの滝と命名したイギリスの探検家、宣教師。
<教訓>
ビクトリアの滝に行く時は、現地でも借りられるが、日本から持っていくなら
しっかりとした上下のカッパを持っていくべき。
自分は、無印の上だけのカッパを着ていたが、ずぶ濡れになった。
靴は、ビーチサンダルにするべき。帽子は、かぶったほうがいい。
ビデオを撮るなら、防水用のハウジングか、なければ、大きめのバスタオ
ルを持っていった方がよい。とくに、ザンビエ側は、ベストシーズンの時なら
絶対必要。
ビクトリア滝を十分堪能した後は、ガイドのお薦めの樹齢1500年のバオバブ
の木を見に行く。
その後、ボマディナーへ。
ボマディナーでは、アフリカンダンスショーを見ながらアフリカ料理を食した。
今まで一度も食べたことのないいろんな野生動物の肉を選択すると、それを
目の前で焼いてくれる。味はけっこういけていた。
4日目、ホテル・メルキュール・アザンベジ
ザンベジ川に面し、中庭には時に、バンブー、イボイノシシなど
の野生動物が通り抜ける。
朝のザンベジ川、朝日の中に、川からの朝霧が立ち込め、幻想的。
ホテルの朝食
ビクトリアフォールズからケープタウンへ
空港の入国審査を待っている時、後ろの方から、「昨日、ビクトリアフォール
ズで日本人の腕を吊っているにーちゃんが、ビクトリアの滝では、下が水で
濡れているので走ったりしないほうがいいですよと言ってたが、あんなところ
走る奴はお前だけだちゅーの」と言い、周りのグループの人達もゲラゲラ笑っ
ていた。もっともなご意見だと思った。

ケープタウンに到着する。
ケープタウン・ロッジに向かう。
ケープタウン・ロッジ
部屋に入る。
何かいつもと違う。
今回の事で、ツアー会社が気を遣ってくれたのか、なぜだか部屋が広く、
部屋数が多い。
スイートルーム。やった。
しかし、一人にしては、広すぎる。
バスルームだけで、シティーホテルの寝室並みの広さがある。
空港からホテルへのタクシーの人も、ホテルのフロントも明日はRainと言う。
今日はこんなにいい天気なのに。
そのため、明日行く予定だった、シグナルヒルの夜景を見に行く。
フロントの男に、「今からシグナルヒルに行きたいんだけど、今の時間シグ
ナルヒルは明るい(夜景がきれい)ですか?」と尋ねると、「No、今は真っ暗
だ。」と言う。なんで、こんな雨も降っていない天気なのにきれいな夜景が、
見られないのだろう?山の上は雲が多いのだろうか?と思うも、とりあえず
行ってみることにする。
ホテルにタクシーを呼んでもらい、あらかじめフロントで聞いていた相場の
金額で交渉する。
シグナルヒルは思ったより近く、30分程で着いた。その途中、オレンジ色の
光に輝くケープタウンの夜景が見られる。ため息が出る。
山の頂上には、駐車場があり、真っ暗だった。ようやく、フロントの言ってい
る意味が分かった。帰りもタクシーが徐行し夜景を堪能した。
その後、ウオーターフロント(ここは、夜一人でも安全)に行き買い物と食事、
テーブルベイホテルでお茶をして帰る。
5日目、ケープ半島一周ツアーへ

朝、空を見上げる。曇ってる。やっぱり雨かと思う。
車に乗り込み、ケープ半島に向かう。よくしゃべるカナダ人のおばちゃん6人
カリフォルニア出身の老夫婦、怪しい中国人、そして、右腕を吊っているもっ
と怪しい日本人を乗せ出発する。
天気予報は雨なのに、だんだん晴れてきた。
ハウト湾
ドイカー島

数千頭(季節により変わる)のアザラシの生息する島。
ハウト湾からの遊覧船で行く。島には上陸できない。
実際行ってみると、島というより岩礁。この上にアザラシがコロニーを形成している。
船は、この近くまで近づくが、臭いが少し気になる。往復で約40分程のクルーズと
なる。
ドイカー島のオットセイ達
すこし臭いが、顔に吹きつける風といい、バーチャル(DVD)ではない、現実
を実感した。
ドイカー島へ向かう船の上で、怪しい中国人と初めて会話をする。
この人は、台湾出身で、日本の大学を卒業し、首都圏で開業している先生
だった。
ケープ半島の大西洋側の眺め
目的地の喜望峰より、そこまでの景色が予想外によくて、車窓を十分楽しめ
た。カナダのおばちゃんたちも景色を見て興奮していた。
ボルダーズ・ビーチ

ケープタウンから40kmに位置するサイモンズタウン近くの小さなビーチ。
ここには、約700羽のジャッカス・ペンギンが生息している。
ボルダーズ・ビーチのペンギン君
喜望峰のシーフードカレー
意外とうまかた
レストランでは、油断をしていると、バンブーが料理を狙って襲ってく
るので注意。この日も一人襲撃をうけ、お店の人が、木の棒で追い
払っていた。
ルック・アウト・ポイントからの景色
眼下に見える半島が、ケープ・ポイント。
右が大西洋で、左がインド洋。

ルック・アウト・ポイントは、ケープ・ポイント、大西洋、インド洋の見られる灯台の建つ
展望台。見る方角を変えるとディアスビーチをはさんで、突き出した喜望峰も見られる。
徒歩約20分の距離だが、ケーブルカーでも上がれる。喜望峰1日ツアーでは、約1時
間しか時間がないので、歩くよりケーブルカーを利用したほうがよい。
ディアス・ビーチ
喜望峰

1488年、ディアスに発見され「嵐の岬」(この周辺は天候が変わりやすいため)と呼
ばれていたが、ポルトガル国王マヌエル1世が、ヴァスコ・ダ・ガマの東方航路発見
を記念して、「喜望峰」と名付けた。
喜望峰では、Cape of Good Hopeの看板と一緒に写真を撮っただけで、時間が
ないため喜望峰自身には登れなくて残念。もし行くならツアーでなくレンタカーで行く
べき。

景色より今、自分がアフリカの最南端、マゼランも見たあの喜望峰に居る ことに感動
した。
野生のダチョウ
ケープタウンへ戻る。
帰りの風景も行きと同じで楽しめる。
とくに、ミューゼンバーグの打ち寄せる波のシーンは一番印象に残った。

ミューゼンバーグ

遠浅の海に白波が延々と続く、サーファー憧れの美しいビーチ。

カーステンボッシュ植物園

この日の夜は、再び、ツアーで知り合った先生とシグナルヒルに行った。
昨日と同じで頂上の駐車場まで来たが、今回は、タクシーをそこに止めて、
タクシーの運転手が、懐中電灯を照らしながら、小高い丘を登っていく。
やがて、眼下にオレンジ色の宝石が広がる。昨日とほぼ同じ場所だが、
あきらかに、今日のこの風景は、昨日のそれよりきれいだった。昨日の景
色のまま帰らなくてよかた。南アフリカの最後の夜にふさわしい絶景だった。
<脱臼後日談>
無事日本に帰国したが、上腕の固定をしっかりしていなかったため、翌朝
目覚めたら既に腕が抜けていた。こんなことは人生初めての体験で驚いた。
はじまは、ギャグかと思ったが、激痛が、現実だと悟らせた。
直ぐにK子を呼び、救急病院へ行こうとするも、体が起き上がらない。
K子に、引っ張って起こすように怒鳴るも、K子の方があせってしまって
何もできない。結局、救急車を呼ぶ。
救急病院に搬送され、そこでまず整復を受けるがうまくいかない。
そこで、麻酔下の整復をドクターに依頼。
依頼したドクターは、まだ研修医で、「先生、麻酔の投与量はどれだけです
か」と不安そうに聞いてきたのだが、こちらも痛みで余裕なく、「上の先生に
聞いてくれ」とおもわず言ってしまった。完全に1人の患者になっていた。 
整復はうまくいった。ドクターは、麻酔から醒めて間もないので、しばらく
ここで安静にするよう指示されたが、すでに午前の診察を休診していて、
その人たちも含めて午後にたくさん患者さんが来るので、無理をいって
すぐに帰宅させてもらった。診察は右手が使えないため、すべてスタッフ
に記入してもらい、処置などは介助してもらいながら患者を診察した。
こんな日々が、その後2か月続いた。毎日100人の患者さんをこんな形
で診察しながら同時にリハビリするのは結構きつかった。
もう2度と海外旅行には行かないと思った。(この2か月間は)